我が大阪の魂フード心斎橋 明治軒オムライス

舌が贅沢になると、かつて愛した店の料理が色褪せる。なんとも切ない気持ちにる。料理の遍歴やお店の遍歴にはそれが付きまとう。

僕が大阪の会社に勤めだしたのは、45年も前の頃、独身のサラリーマンの夕食事情は、今ほど豊かではなかった。コンビニはまだほとんど姿を見せず、ファーストフードチェーンも同様に大阪のビジネス街にも繁華街にも見当たらなかった。

ぼくの当時の通勤は、地下鉄御堂筋線の淀屋橋から難波駅を経て南海高野線で中百舌鳥に帰るというルートだった。

飲食店の選択肢が多いのは繁華街かターミナル駅周辺となる。まず思い出すのは、多分最も多く通った難波の千日前の「すし半」で、バッテラと温かい汁そばの組合せをよく食べた。京都出身で鯖寿司で育ったぼくには、大阪アレンジのバッテラ派ご馳走であり大好物だった。難波の^もう一択は、洋食の自由軒。ここでカレーライスかフライ物を食べていた。