<80歳でも収入>家元への道②ニーズを探して、mixiに飛び込みました。

定年退職とソーシャルメディアが化学反応?

退職直後の2009年のことでしたが、銀座の書店・教文館で日経BP社発行の月刊誌「日経ビジネス アソシエ」に出会いました。ビジネスパーソン向けに仕事術や仕事用品の活用法などの情報をメインにした雑誌でしたが、サラリーマン時代にはまったく眼中に入って来ませんでした。環境が変わると、無意識のうちにも視点が変わったのでしょうね。

ある月の特集記事にビジネスパーソンの勤務外活動<週末活動や朝活や夜活>に関した取材や紹介がありました。 ボクは旧型のサラリーマンでしたので、会社組織内活動や業界内の活動しかしてこなかったので、組織を離れて個人が活動するということがとても新鮮でした。それはソーシャルメディアがぐんぐん広まって行くときで、代表的なSNSのmixiが全盛期を迎え、個人のネットワークの面白さにみんなが目覚めたときでもありました。

定年退職というのは、組織から離れてタダの個人で生きていきなさいという宣言を受けたことでもあります。属する入れ物を卒業したタイミングで、ソーシャルネットワークの洗礼を受けたのです。 

mixiのオフ会に顔を出したのが、そもそもの始まりでした。

いま思えばこれはとても象徴的な出来事でした。mixiは基本ネットワーク上の交流がメインでしたが、首都圏ではオフ会と称してリアルに交流する活動が盛んでした。有名なところでは「読書朝食会リーディングラボ」など、出勤前の8時頃にターミナル駅周辺のカフェで集合してモーニング珈琲を飲みながら参加者がお薦めの書籍を紹介するというものでした。その他にも結構真面目な勉強会が多かったですね。20代30代の人たちに混じって60歳過ぎのおじさんが顔を出して仲間にいれてもらっていたのでした。

無謀にも永田町に、自前のメディア=会議室を持つ。

mixiのオフ会の主催者の悩みは、みんなが集まる場所探しでした。朝の読書会は出勤途中で短時間の条件なのでカフェで間に合うものの(と言っても5〜8人位が席を取れる、適度に空いているカフェ探しも一苦労でしたが)、じっくりと1時間2時間と交流するのには会議室が必要です。場所代は割り勘で賄うのですが、あまり高額だと人が集まりません。

定年後のボクの東京の最初の住居は、足立区の西新井にありました。個人事業主として屋号を荒井からとって「アライアンスグループ」にしたので、ついでに住居も西あらいにした次第ですが、足立区まで都心を外れると60平方米ほどの広さの部屋が借りられます。10人くらいが十分に集まれるスペースを持つことが出ます。ということにある日気がついて「そうだ!都心に引っ越して、会議室を提供しよう。人が集まる容れ物は情報が集まる容れ物でもある」と、マスメディア出身の発想をしました。そして駅から徒歩10分以内で10人以上集まれる部屋の物件を探しを始めたのでした。

銀座線と丸ノ内線の赤坂見附駅から徒歩6分、マンションの1階に72平方米の部屋を見つけました。日比谷高校とメキシコ大使館、参議院議長公邸と同じ町内。ここまでの一等地である必要はなかったのですが、20物件以上を見て回り、うんざりしながら諦めかけていたときに遭遇した好物件でしたので、予算オーバーの家賃でしたが、まだ退職金が手つかずでしたので、気が大きくなったというか無謀にも選んでしまいました。

そして、ボクのmixiのユーザー名が「@永田町」になりました。その頃知り合った方はいまだにボクのことを「永田町さん」と呼びます(笑)  (家元③に続きます)

80歳になっても収入を得る方法として、「家元」をめざしました。

順に、ノウハウ・プロセスをご紹介していきますが、ステップを重ねれば下記のように形になりました。

家元になっての「主な成果」
  • 書籍を3冊出版
  • 自前のセミナーを100期以上開催
  • 企業研修(東京海上日動火災保険株式会社様、ネッツトヨタ神戸株式会社様、カネボウ化粧品販売株式会社様、メットライフ生命保険株式会社様他多数)
  • 講演活動

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