定年後も働くということは、チーム競技から個人競技に移行することだとボクは考えてきました。

社会の構成員として、集団で教育を受け集団で社会に出て職を見つけて、社会的役割をまっとうするために働いて生きること。それが組織の一員として機能するサラリーマンの道でした。それぞれのチームに分かれて、競技ごとのリーグに分かれていますが、基本的に団体戦を戦って組織やチームを発展させるとともに存続させてきました。ローカルルールや多少偏った環境であってもみんなで渡れば怖くないと、単一組織のルールに則りみんなひたすら働いてきたわけです。

そしてある日を境に、組織を離れていただくので組織での役割や能力発揮はもう結構ですと告げられるのです。それは社会全体の取り決めですから抗いようがありません。

ボクは、2009年3月末日で36年間所属した会社を退社しました。何をするか、どのように働くかはまったくノープランでした。ただ1つ決めていたことは、引き続き2拠点生活を維持しようということでした。45歳の春に関西から単身赴任で東京にやってきて、東京ひとり暮らしが好きになっていましたので、関西に戻って何かをすることは選択肢にはありませんでした。

無計画だったのは、執行役員任期が延長される目論見が外れたことです。まぁ、いま思い起こせばサラリーマン末期のしがみつきに過ぎなかったのですが、通常の社員定年とは異なる退社の仕方で、誕生日でピリオドではなく期末に退任=退社となりました。

まずは引っ越しと、ちょっと腰掛けさせていただけるところを決めることの2つでした。会社契約の住居の退出と補助もなにもない(当たり前ですが・苦笑)新規賃貸物件探しから始めました。

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