かつて糸井重里さんは 、 『インタ ーネット的 』 ( P H P研究所 )という本で 、インタ ーネットの本質は 「リンク 」 「フラット 」 「シェア 」の 3つであると言いました。
「シニアライフシフト」を実践するキーワードは、インターネットの本質の3つにプラスして、パーソナルではないかと思います。
男性寄りの視点になりますが、多くの男たちは企業社会に組み込まれ、縦型の職階で組織化されて動くことに染められてきました。個人よりも組織人、個を殺して役割を担うことに疑いはありませんでした。
それがある日お約束事とはいえ、定年制のもとで、その日から組織名もなく肩書きもないただの個人にならされるのです。
「フラット」→現役の仕事を引退して、一切の序列のない、人口統計的に老人という括りの中に分類されるのです。
と同時に、何の指針もモデルも方向感もなく、各人が死ぬまで勝手に過ごしなさい、となるわけです。
「パーソナル」→市民としてのルールやマナーに則る以外は、自分で判断して自己責任で行動してください。その代わり、何の気兼ねもありません。誰かが関与してくることも、外的なモノに縛られることもありません。
24時間365日、お好きにどうぞご自由にお使いください。
これはかなりのカルチャーショックです。
物心がついてから55・6年間、親や先生先輩、上司が指示や方向性を指し示してくれて、その下に努力して切磋琢磨すれば良かった。周りには、同じ釜の飯を食う仲間がそれぞれの所属や年代にいて、競うことや同類を憐れみ合うこともできた。
それが定年を境に、何のフレームも、ロールモデルも、目標も計画もなくなってしまったのですから、寄って立つべき軸がない。
かって個人の対立軸には常に組織や集団があって、アンチテーゼを成立させてくれていた。
(もちろん広義の意味で、社会対個人は常にあるが・・)
自らの日常や人生を規定しようと圧を掛ける枠組みは、ある日雲散霧消するのです。
もう何もないのか?
そう、30年前なら、何もなかった。でも、その分早く死ねた(笑)
いまは、インターネットがあるのです。
ぼくはつくづく、良い時代に老人世代に突入できたと思います。
その訳はインターネットが個人の武器になり、集団の時代の個人ではなく、個人の時代の個人を成立させるのです。
組織や集団に属していなくても、誰とでも繋がることが、インターネットによって可能なのです。組織や集団の保証や肩書きパスポートなしに、あらゆる人と繋がりを持つことができます。リンクできるのです。
もちろん、リンク^_^可能にするためには、自分から手を上げないといけません。なんらかの発信を自分の方からしなくては、何も始まりません。そしてありがたいことに
そのリンクのコスト、発信のコストは極めて低く、個人のお小遣いレベルで可能なのです。組織や集団を作ってコスト負担をする必要はありません。
リンクは、パーソナルでできるのです。
そして、リンクによって何が行われるかというと、シェアが行われるのです。
個人が手に入れた知識や情報、経験やノウハウが、惜しげも無くシェアされるのです。
80歳の老人も、15歳の中学生とリンクすれば、15歳の視点や価値観や体験を教えてもらえます。
お返しに趣味の知識や学び方をシェアしてあければ喜んでくれるかもしれません。(続く)