定年後の働き方こそ、発信が命。それも自前のチカラで発信能力を高めて行かないと現役世代に太刀打ちできない。

61歳半で退職をした時、前職の人間関係にこだわることはやめようと決めました。

そして、当時のSNSの主役であったミクシィのOFF会に参加し出したのです。20〜40代前半の人たちの輪に60男がポツンと登場した訳で・・。読書会や各種の勉強会に積極的に加わり、都心に事務所を借りたこともあり、そこをOFF会活動の貸しスペースにしたりしてぼくの居場所を増やしていったのです。

1年目は退職後の仕事を手探りしていた時期なので、年下の友人たちから影響を受けることを選択したとも言えます。

直感的に、新たな仕事を起こそうとすることは、彼らのニーズに応えることであり、貢献できることでしかないと思っていましたから、彼らを観察しながら、自分のキャリアを棚卸しして接点を模索していたのです。

そして年下の人たちと一緒に仕事を作り出していく方向で試行錯誤しました。創設した社団法人では代表であっても、一緒に活動する人たちの意見をできるだけ取り入れてきました。

社団法人は一緒に活動する人を雇用するのではなく、個人の集まりという形を取りましたので出入り交代が常でした。(その形の功罪はあるでしょうが、グループでいうと4交代ほどしました・・)第一グループは、大手企業に勤務しながら自分探し活動といった人が多く、第二グループは依存型の人が、第三グループになってくると仕事下手と言うか真面目だけれど悩み多き人たち、第四グループは組織を作りたい人たち、という変遷でした。

社団法人が提供するノウハウ・メソッドはぼくがほとんど創っていましたが、発信を他の人たちに任せていたのです。分業しなければいけないという思いもあって、隔靴掻痒、なかなか思うようにハンドリングができなかったのてす。

その原因は、任せていた人たちのセンスがズレていたと思っていました。大手企業と同じ発想でホームページを作成して運用するのが正しいと彼らは考えていたのです。

紆余曲折があって、ぼくは個人事業主に戻しました、自分の立ち位置を。そして、発信そのものを自前でコントロールするようにしました。シニアの働き方は、それが生命線です。

この記事を書いた人

荒井 好一(Yoshikazu Arai)

荒井 好一(Yoshikazu Arai)

会社員38年・定年後フリーランス10年、好きな仕事で歩いてこれた。

45歳の春から東京単身赴任をスタートさせて、退職後もデュアルライフを楽しむ。異なる文化の街暮らしと移動空間で企画をするのが大好きで、2017年は実に新幹線乗車105回で仕事を楽しんだ。

スピーチのコーチ、法人代表、時々ビジネス書の著者、ブロガーに挑戦中。