脊髄外科医が手術の概要を説明してくれた。
ぼくは神経に水が溜まるという特殊な体質で、膝の裏や指の腹や股間に「神経鞘腫(そうしゅ)」ができている。ただそれらの多くはありがたいことに悪さをしていなかった。
だが1箇所厄介なところに巣くって痛みを誘発していた神経鞘腫があった。脊髄の下部で神経群が馬の房のように下半身の各部位に派生していくところのうちの1本が肥大して、他の神経を圧迫していた。
その結果、坐骨神経に痛みが起こり、ひどい時には歩けない症状をこの2年は引き起こしてしまっていた。
坐骨神経痛の治療のために、整形外科から鍼灸・漢方と渡り歩いたが一向に改善しなかったが、ようやく脳神経外科のMRI撮影で原因が判明したのだ。
脊髄外科医は、お腹の側からは内臓が邪魔なので、背中側から切っていくので該当箇所の背骨を切ることになり、その隙間を確保して腫瘍を切除します、なに、4時間ほどの手術です、という。
ちょうど15が月前のこと。背骨を切ると言われたことに過剰に反応してしまい(結果として1年後に手術に至るのだが)、その当時、以下の決意の文を書いていた。
分からないなりに、いずれそう遠くない頃に死ぬのだからという気持ちのときの思いである。
痛いは、生かしていただいている証。
ならば、痛みに寄り添おう。痛みと同行二人だ。
小さな不具合を治すために、大きな代償を払うことは止そう。
痛みと付き合う。痛みと共に感謝をしよう。
これぐらいは、ありがたいことです。
お陰様で、考えること、想うこと、美味しく味合うこと、自分で排泄できること、歩みは遅くとも自分の足でどこにでも行けること。こんなに多くの、できることをいただいている。そのことを思い、感謝しよう。
痛みを逸らすやり方はある。眠りを妨げられれば、起きて座ればいい。本を読み、手帳を綴り、iPhoneを操ればいい。現役の人の時間割で暮らしているわけではない。
朝寝をすればいい。満員電車に揺られる必要はないのだから。なんなら昼寝も許される。少しの仕事もしているが、ありがたいことに多くは自分の裁量で時間が使える。
だから、今は睡眠時間だが、それを妨げられるから、妨げる元を断たねばならないと思うのではなく、痛みを主役にして上げて、我儘を受け入れる。というか、痛みを軸に生活のリズムを考えればいいのだ。
そう考えれば、そんなに多くの時間が割かれているわけではない。
深夜の2時前後、電車で出かける時の座り込む時間、ウォーキング中の耐えられない時・・・。
30年生きようと決めたら、積極的になる。 手術は功を奏し痛みから開放された。感謝!