舌が贅沢になると、かつて愛した店の料理が色褪せる。なんとも切ない気持ちになる。料理の遍歴や飲食店の遍歴にはそれが付きまとう。
僕が大阪の会社に勤めだしたのは45年も前、その頃の独身のサラリーマンの夕食事情は、今ほど豊かではなかった。コンビニはまだほとんど姿を見せず、ファーストフードチェーンも同様に大阪のビジネス街にも繁華街にも見当たらなかった。(冗談ではなく、家に帰れば夕食が用意されていることが結婚願望の上位を占めていた)
ぼくの当時の通勤は、地下鉄御堂筋線の淀屋橋から難波駅を経て南海高野線で中百舌鳥に帰るというルートだった。
飲食店の選択肢が多いのは繁華街かターミナル駅周辺となる。
まず思い出すのは、多分最も多く通った難波の千日前の「すし半」で、バッテラと温かい汁そばの組合せをよく食べた。京都出身で鯖寿司で育ったぼくには、大阪アレンジのバッテラはご馳走であり大好物だった。難波のもう一択は、洋食の自由軒。ここでカレーライスかフライ物を食べていた。
その中で20代のぼくのNO.1は、明治軒のオムライスだった。玉子の中のチキンライスがこの店独特で、鶏肉や玉ねぎなどの具材はペースト状で調理時にライスと和えられているので食感はご飯のみ。しかも、炒めない。
時折の自炊でオムライスに挑戦して、炒め方が難しく焦げ目だらけでパサパサのチキンライスになっていたぼくには、炒めないという発想が衝撃的で、オープンキッチンのコックの作り方をカウンター越しで盗み見して、家で再現していた。
それほど明治軒のオムライスはぼくの中で王座をしめていた。
しかも、嬉しいことに串カツがセットメニューでトッピングできる。略称「串オムセット」である。串カツもまた独特で、牛肉は薄切りの5cm✕4xmがフライになっている。玉ねぎもナニもなし。ザク切りの温キャベツが添えられている。牛肉が1等のご馳走の時代である。
中学生の頃に京都の三条河原町のスター食堂で初めて、「カツカレー」に対面したとき、カレーライスだけでもご馳走なのにそこにトンカツまでのってくる!この組合せは、世紀の大発明だと本気で驚愕したのを今でも鮮明に覚えている。そして社会人になり、串カツとオムライスの組合せにも出会うことができた!
先日、このブログの記事の仕込みに、一芳亭の焼売に続いて明治軒にも5年ぶりくらいで再訪した。一芳亭は期待値通りであった。明治軒にもそのつもりで伺ったが、悲しく切なかった。馴染みの2名のコックさんも老いても現役だった。観光客が列をなして繁盛していたが・・・。
店をけなすつもりはまったくない。客の側の変化なのだ。変わらぬ味というのは、本当に曲者で厄介だ。食生活も食品素材の開発や流通もどんどん変化する中で、提供する側と享受する側のズレはいたし方ないのだろう。ぼくの人生のある時期をお腹も心も満たしていただいたことは変わらない。
70年、何を食ってきたかをこのブログで書いていこうと考えているが、きっと懐かしさと切なさの、巡る巡るよ人生は、ということを肝に命じなけれはいけないと思った次第です。