「死ぬまで」といういささか重い言葉を使いましたが、これには2つの意味合いがあります。
ひとつはコロナ禍での実感です。ボクは直近の27日の土曜日は大阪でスピーチの講座の2回目(全5回)を実施し、28日は東京に移動して広告会社のプロの方たちにプレゼンテーション講座をこれも2回目のプログラムを行いました。両講座とも生身で発信するスピーカーやプレゼンターはマスクを外して語りかけますから、聞き手は3m以上離れてかつマスクとフェイスガードを装着しました。
どちらも当初の4月実施が6月にずれ込んだものです。また、明日には新宿の高層ビルの企業の方からお声掛けいただき商談に伺う予定です。こうしたリアル活動の再開はありがたいのですが、コロナ対策では高齢者にクラス分けされるボクには負荷が高いのは事実です。
もう一つの「死ぬまで」は、雇用という働き方には雇い止めがありますが、個人事業主には年令による制限が一切ありませんし、他人の判断は介在しません。個人事業主が廃業を届ける時は、いずれも自分の判断に依ります。
(1)「仕事との依頼が無くなる」場合と、(2)「頭と身体が仕事を遂行できなくなる」場合のどちらかです。
「仕事との依頼」の方は、本来は年齢は作用しません。提供できるものやサービスがどなたかにとっての価値を生じることができればお買い上げいただけるのです、現役世代であろうがシニアであろうが。ただ、この事実は5年前くらいから大きく潮目が変わったと実感しています。ボクは61歳から個人事業主になったのですが、最初の5年位は年齢をオープンにするのは憚られる雰囲気がありました。単なる隠居仕事か、現役世代にとってはお邪魔虫的存在で、仕事のポジションが先生という位置ならなんとかセーフといったものでした。ところが、ここ数年は(顕著には2年前くらいから)は、商談でも年齢のことは話題にでないし、仕事を依頼する側がまったく気にされなくなりました。年金の支給年齢や定年延長の話題が外堀を埋めているとともに、労働力不足が顕著になり仕事や労働の担い手が明らかに高年齢層にもシフトしてきているからでしょう。ですから、これに関しては心置きなく仕事の依頼をいただけるように邁進すれば良いのです。
さて、まもなく73回目の誕生日を迎えるボクにとっての喫緊の課題は、体力です。内臓等はなんとか稼働していますが(多分)、筋力の衰えの方がアラームを発してきています。スピーチの講師では3時間ひとりで担当して立ちっぱなし。プレゼンテーション講座の方は5時間の長丁場になります。事前準備も事後の対応もひとりでこなしています。もちろんひとりは望むところなんですが、少なくとも80歳まで持たせるためには大改造が必要かと考え、ひとつの手立てとしてRIZAPで筋力を鍛え上げにいこうかと考えています。筋力に投資することがシニアの働き方には不可欠なようです。